李さん一家が現在のアパートに越してきたのは結婚してから6年目の1994年のことである。ソウル郊外に小さな一軒家を購入してスタートした夫婦の生活は、より広い家へ、より市の中心へと移動して、三代目の住まいをむかえた。アパートの側からみれば夫婦は四代目の住み手にあたる。ふたりの子供たちも小学校へかよい、江南の地でおちつくかとおもわれた夫婦の生活だが、2000年にはアパート建て替えの話がもちあがり、アボジの職場のちかくに転居することもかんがえはじめていた。もっとも、転居の多さは韓国の都市ぐらしの特徴で、そのせいか一家の所有する家財道具にも、おなじアパートだった住人のリサイクル品が多くある。
いっぽうお隣りの日本では、住まいといえば終の住処。首都圏に住む45~64歳の高齢者予備軍のうち、終の住処をすでに取得している人は65%で、のこりの35%、およそ300万人は未取得、数年後から需要の波がやってくる(『求められる「終の住処」』都市基盤整備公団、2000)などと、国はつかれた中高年の不安をあおりたてる。それでも、やっと手に入れた終の住処にあたたかい家庭生活が待っているとはかぎらない。新居を得たがためにおこる家庭崩壊は小説や映画のネタにもなるくらいだ。最近は寝室を夫婦別にわける可動壁のある家までお目見えして、儒教のおしえは日本で復活のきざしか。「何十年も嫌なことを我慢するより、時には一人ひとりの空間、時間を大切にした方が、ふたりの時間も充実する」のだそうだ。家族はあまり干渉しあわないほうが末ながく平和にくらす秘訣なのである。
早い話が終の住処は臨終をむかえる場所のことで、現実に7割以上が病院で死ぬにもかかわらず、火葬場へむかうまえには、苦労して買った終の住処にまいもどる。そこで、住まいとも死出の別れをするのが世の習い。高層アパートのエレベーターに棺桶がのらない設計が問題になって、真剣に議論されたこともある。病院で葬儀を済ませてそのまま墓地にむかうのがなんら不思議でない韓国では、にわかに信じがたい話だろう。韓国で終の住処といえば先祖のねむる墓であるくらい子供でも知っている。故郷からとおくはなれて住んでいても、最後にかえるのはやはり終の住処。そこで子孫に祀ってもらえるようにそなえておくことがいわば現世の幸福をささえている。
李家にとって住まいの意味は、なによりも家族が住むための器である。条件のよい場所をもとめて移動を繰り返すのは都市ならあたりまえのことで、どこへ移動しようが肝心なのは家族の連帯。その維持のためには惜しげもなく努力をはらう。家族は黙っていてもそこにあるのではなくて、家族はしつづけるものなのだ。
李家の部屋を見回して、まず目につくのが各部屋にかざられた晴れ晴れしい家族写真。もちろん小さな写真は財布にしのばせて持ちあるき、妻帯者の多くが職場にかざって日夜拝礼をかかさないのは、家族写真こそ現代の家神であるなによりの証拠かもしれない。
日本では家族解体の元凶とも名指しされるテレビ、携帯電話、パソコンの御三家だが、この国では、むしろゆるみかけた家族のきずなをたてなおす最大の功労者である。ホームドラマは全国の女性をテレビのまえに釘付け、家族参加の番組が主婦の本能をたぎらせる。実家の両親に毎日かかさず電話をするのはよき妻、よき夫のつとめだったが、携帯電話の普及は夫婦のあいだにもこの慣行をしいるようになった。夜遊びする夫に家で待つ子どもから着信、たちまちマイホーム・パパに変身してしまう光景はいまやソウルの夜の風物詩。パソコンに向かってキーボードをたたく相手は、家族のホームページにメールをよせる親戚たちで、インターネットは各地にちらばる親戚同士のまたとない情報交換ツールになった。去る者は日々に疎し。正月、秋夕、それに故人の命日には毎年かならず一同が顔をそろえ、やれ両親の還暦・古稀祝いだ、やれ親戚某の結婚式だ、やれ子供の100日・トル祝いだ、とことあるごとに参集する。家族旅行に、家族イベントへの参加、小学校では家族新聞づくりが宿題にもなり、家で家族新聞のひとつもつくっておかねば、子供の肩身もせまい。一家の主婦の掌握すべき家事はかぎりなくおおく、韓国の家族はじつにいそがしい!
住まいが先か、家族が先か。形や見栄えにこだわって住まいに執着する日本社会と、中身や味のクオリティを優先する家族本位の韓国社会、そんな対比が浮かびあがる。
韓国の家族は、たいてい家父長制や儒教道徳にのっとった父子関係、男女関係を引き合いにだして説明される。1990年に家族法が改正されて、長男の戸主相続や男女の不平等は法律上あらためられたが、李朝時代以来の伝統はいまも変わらず家族イデオロギーの根幹をささえている。
李さん一家もそうした家族観にはつとめて忠実であろうとしている。長男のドンファは、祖先祭祀の場ではいつもアボジの横にいて、家長になるための儀礼教育をうける。妹のウィジョンが教会の日曜学校へかようのを羨ましげに横目で見ながら、彼は一族の魂の導き手になる責任を果たそうとする。そんな孫の姿にハルモニは目をほそめる。しかし、李さん一家が父系にもとづく伝統的な家社会をいまも生きているのかといえばそうではない。家族一緒の時間や家族の対話をなによりもたいせつにしたいとねがい、日々のくらしのすみずみにまで刻印される濃密な家族愛、それこそが、李さんの一家もまた韓国の現在を必死に生きようとしているまぎれもない証拠なのである。
韓国で結婚しないことの大変さ。それは、憐憫をたたえた周囲の視線に耐えるだけでは済まない、魂のゆくえにかかわる問題だ。結婚すれば否応なく男子の誕生を心待ちにされ、その救済に生殖医療はゆがんだ発展をとげる。若者の援助交際や有閑マダムの主婦売春が社会問題になるといっても、その背景には息詰まるほど巨大な家族社会の壁がある。日本の比ではない。家族をもたなければ、それだけで現実世界からも精神世界からもおちこぼれてしまう。家族の功罪、どちらも韓国社会の直面している現実である。
展示のテーマはずばり「韓国」と「家族」。
それなら、もっと韓国らしい家族がいるのではないか?
もっと標準的な家族イメージを抽出するべきではないのか?
そんな疑問を無意味なものにしてしまう問題設定こそがもとめられていた。
これまで博物館の展示というと、社会の全体像をあらかじめ想定して、展示品はその全体像をえがきだすための素材と位置づけられてきた。たとえば、ソウルのアパートを展示すれば、それは韓国文化の一断面をしめすための素材とかんがえられるのである。けれども、そのときアパートに住んでいる李さん一家は韓国をうつしだす影絵にすぎなくなってしまう。
ソウルのアパートをなにかの表象としてではなく、それ自身の価値をもつ存在としてとらえることはできないのか?
その住人にかけがえのない個人としての意味を見いだしてゆくにはどうすればよいのか?
そうした問いかけの結果が、「ソウルスタイル」という名称にはこめられている。「韓国の家族」ではなく「李さん一家」でなければならなかったのだ。家族のひとりひとりが固有の時間と固有の空間をもち、アパートの部屋をたがいの結節点にしながらまわりの世界へとのりだしてゆく。そのような関係のもちようを、韓国でも日本でもない、ともにおなじ現在をあゆむ「家族」とみなそうとした。
私たちは自分の生まれてくるところを自分で決めてきたわけではない。たまたま生まれてきたところが、ある土地のある家族のもとであったにすぎない。だから、文化や民族について論じるまえに、自分について知りたい、身近な人間について知りたいとのぞむ、そこから個々人の問題を組み立ててゆく以外に、未来へひらかれた異文化理解の道はないのだとおもう。
特別展「2002年ソウルスタイル:李さん一家の素顔のくらし」展示図録より