生活財調査

 李さん一家の住むアパートにはじめてお邪魔したのは2000年11月2日のことだった。ちかくのディスカウントストアで3万ウォンする箱入りのメロンを買い込み、ささやかな手土産にした。決死の覚悟だった。日本語に堪能なふたりの研究員が国立民俗博物館から同行してくれた。李さん夫婦とおなじ安東大学の民俗学科で机をならべていたK氏と私の案内役を仰せつかっていたC氏である。いまは手にとるようにその意味を知ることになったリビングに私たちは案内され、[店頭品を250万ウォンで割引購入した水牛皮の]ソファーに腰をおろすのではなく、床に敷いた[色落ちのために50万ウォンの正価を35万ウォンに値引きして買った]竹のマットに全員すわりこんで、[アボジが出張の手土産にもらってきた]青梅酒の歓待をうけた。私は部屋のなかを一瞥して、目につく物の多さと、リビングの床が期待していたようなオンドルでないことが気にかかった。

 そのとき私は、民俗博物館の外来研究員としてソウルにまねかれ、家のなかにある物をあらいざらい見せてくれる家族がいないかさがしもとめていた。そんな物好きがいるはずはない。だいたい自分自身が日本でおなじ要求にこたえられるかをおもえば、協力してくれる家族があらわれるのが不思議なくらいだった。事実、見つかる気配はどこにもないまま無為に日をおくっていた。
 私は調査の趣旨を説明した。家のなかにある物をすべて記録にとらせてほしいこと、それは韓国の現在を後世につたえるかつてない重要な資料になるであろうこと、調査は写真撮影とインタビューで1週間ほどで終わるだろうということ、そして、2002年に開催予定の特別展で調査結果を有効に活用したいことなど、おもいつくかぎりの理由をまくしたてた。


 身のまわりの生活財に日本ではじめて調査の目をむけたのは、考現学で知られる今和次郎だった。「朝鮮部落調査特別報告 民家」(朝鮮総督府、1924)の著者でもある。「下宿住み学生持物調べ」(1925)や「新家庭の品物調査」(1926)には、部屋のこまごました家財道具から身につけた洋服や携帯品まで、所持品いっさいのスケッチが観察記録とともにのこされている。生活改善や器物の改良に役立つことを今は指摘しているが、「普通の常識では何等の価値のないような品物をも丁寧な態度で記入」し、「如何なる偶然をも見のがさないで全部記入」しておく調査の結果は、なによりも調査対象と今のそれぞれのゆたかな個性をあらわすものになっていた。

 そして50年を経て、今のやろうとした企てを100以上の家庭を対象に実施してみせたのが『生活財生態学』(商品科学研究所+CDI、1975)である。森のなかの一定範囲にある植物を網羅的にしらべる森林生態学の方法にならって、一定の間取りの家にある生活のための用具、すなわち「生活財」の徹底的な記録をめざした。あらかじめ予想される生活財を表にして、アンケート形式で生活財の有無と使用状況、入手方法について回答してもらい、可能なら写真と図面でじっさいの使用状況をおぎなった。この調査は1992年まで継続しておこなわれ、日本家庭が所有する可能性のある生活財について、最終的に4203種類の品物をリストアップしている(『生活財生態学Ⅲ:「豊かな生活」へのリストラ』1993)。


 ソウルのアパートの調査を実施することになって、まず参考にしたのも生活財生態学の成果だった。20世紀最後の年に、マイホームという近代消費文明が生み出した商品パッケージ(家族=住宅)の完全な記録をのこしておきたい。ひそかにそんな目論見を計画にこめた。しかし、生活財の調査にゆきついた経緯は、これまでの類似の調査とは正反対というほどちがう。そこには、生活財生態学の調査がはじまった1970年代なかば(国立民族学博物館のオープンも同時期)と、およそ25年たって実施された今回の生活財調査のあいだの大きな時代の変化がある。

 生活財生態学の目標は、階層や地域におうじた日本社会の平均的イメージを抽出することにあった。「社会」にたいする全幅の信頼がそこにある。そのために、時間のかかる密着型の調査をあきらめ、なるべく多くのサンプリングが可能な方法をあえて選択した。私たちは社会を構成する不可欠の市民であって、社会を理解することがその一員である私たち自身を知る近道だったのである。

 だが、世の中は産業化社会から情報化社会へとシフトをつづけ、テレビや電話やインターネットが個人に直結する時代をむかえた。私たちはいま、周囲の日常とあまり接点をもたなくても人格をはぐくむことのできる環境を手にしている。1989年に連続幼女殺人事件をおこした犯人Mの部屋が公開されたとき、部屋の空間を隙間なく埋め尽くしたビデオやエロ本の山を見て人びとは納得したものだった。異常な性格は外部の世界から閉ざされた異常な空間のなかではぐくまれるのだと。けれども、1993年に出版された『東京スタイル』(都築響一)では、Mの部屋は無数に棲息する都市人間の特別でもなんでもない風景のひとこまにすぎなかった。部屋のなかにあふれる物は、もはや本来の機能や使用目的のためだけにそこにあるのではない。アルバムのなかの写真のように、あるいは蓑虫の簑のように、そうすることでしか確認できない自己を構成する不可欠の部品だった。

 閉ざされた家屋空間のなかで肥大化するいっぽうの自我。それをつつむ社会との乖離は、程度の差はあれ、おそらく現代人なら誰のうえにもおきている。家族でさえ、共同体としての無力を十分すぎるほどにさらけだしてきたのだ。だから、とおりいっぺんの解釈を社会にあてはめて理解したつもりになっても、その先に浮かびあがる個人の姿はどれもリアリティを欠いたものにしかならない。無数のMを射程におさめながら、社会がそのうえにのこした痕跡をとらえること。生活財調査は、こうした問題意識の変化を背景に、その解決の糸口を住宅の空間にもとめたのである。つねに個性的な存在として人間を描こうとした今和次郎の原点にふたたびたちかえったと言ってもよい。




 実際の調査は、部屋ごとに置かれた家具に番号をつけ、順番に内容物をあらためながら一点一点取り出して、そのすべてをデジタルカメラで撮影することからはじめた。撮影にはつぎのような原則をもうけていた。たとえば箪笥なら、箪笥全体、引き出し、引き出しのなかの小物入れといった具合に、全体から部分に順次撮影しながら、最後の物のレベルまですすむ。したがって、おなじ食器でも収納場所がちがえば別の物としてカウントした。テレビのように、本体、リモコン、保証書、取り扱い説明書などをわけて保管してあるものも、それぞれことなるアイテムとしてデータをつくった。撮影にあわせて、調査シートには物の名前と保管場所、そして、使用者、使用頻度とその物がいつどのようにして家のなかにもたらされたかを書きこんでいった。購入した物なら時期とその値段、貰い物なら誰からどういう機会に入手したかを記録するのである。
 調査はデジタルカメラ2台を二班にわけておこない、カメラのメモリーがいっぱいになるたびに撮影した画像データをパソコンにうつしながら作業をつづけた。パソコンやデジタルカメラの発達がなければできない調査だったし、むしろそのような時代性を最大限に発揮することを意識していた。けれども、たとえカメラが何台もあって、調査員が何人いようと、質問にこたえてくれる側はひとりしかいない。家のなかの物を勝手にあらさがしされるだけでもふつうなら勘弁してほしいとおもうところだが、そのうえ、ふだん意識もしなかった些末な物についてまで質問にこたえねばならないのだ。まがりなりにも調査を終えることができたのは、李家のオモニである金英淑さんみずからが、調査の一員として積極的に作業をリードしてくれたからだった。最終的に記録された資料数は約3200点、当初数日の予定で開始した調査は3週間におよび、のべ40人日を要する作業になっていた。


 私たち現代人の持ち物の多くは、所詮他人には意味のないガラクタばかりである。生活財調査の目的は、人間が生きてゆく過程で身のまわりにあつめた物を可能なかぎりしらべあげ、そのひとつひとつに持ち主のこめた意味をあきらかにしてゆくことにあった。一見無意味な領収書やメモの類でも、その物がそこにある以上、持ち主の生存にかかわるなんらかの社会的意味がこめられている。そうした関係性の糸をたぐりよせることで、持ち主にとっての社会のイメージをあぶりだしてゆくことができれば、それはガラクタにすぎない物にも、そして、ガラクタにたよることでしか自己のありようをしめすことのできない私たち現代人そのものにも、生命の光をともすことができるかもしれない。これは調査をささえる信念ではなく、調査の前提をなすテーゼにちかいかんがえである。なぜなら、物にはそれがそこにあるべき歴史の必然があり、人にはその社会で生きているための存在理由がある。今回の調査・展示をささえる基本理念は、そのようにして個人の可能性をおいもとめてきたのだから。

特別展「2002年ソウルスタイル:李さん一家の素顔のくらし」展示図録より